8日目 8月20日(土)
人里離れたキャンプ場の管理棟にて起床。正直なかなか寝付けなかったんだけど、いつのまにか寝ていたようです。サイトに張りっぱなしのキャンプ道具を管理棟まで持ってきて撤収。もうこんな思いをするキャンプは懲り懲りです…。
荷物を積んだら早速朝の八幡平を駆け上がります。
真夏だと言うのに革ジャン+インナーダウンで丁度良いような気温。雲海出てたけど、アスピーテライン側からきれいに見渡せる場所がなかなか見つかりませんでした。写真右手の岩手山から見たら綺麗だったんでしょうね。
山頂付近でガソリンがリザーブになるなんてプチアクシデントも最後までもありましたが、無事に八幡平を後にして、盛岡の市街地へ。人里離れたキャンプ後の朝飯はなぜか朝マックが食べたくなるのです。
空腹と人里恋しさが満たされた後は国道455線で龍泉洞を目指します。延々と深い山の合間を縫うようなルート。たまに小さな集落がポツポツとあるんだけど、ものすごい古い造りの民家だったり、見かけるクルマはほぼ高齢者マーク、見かける住民はほぼ高齢者。道路沿いにある学校には「ありがとう〇〇小学校」の文字が並ぶ…。盛岡まで軽く1時間以上かかる上に冬は雪深いであろうこのエリアはそこら中に過疎化の現実がありました…。お気楽旅行者が何言ってんのって話ですが、北海道のそれとはまた違った寂しい雰囲気が印象的でした。
道程自体は信号もほとんどなく、快適でスムーズなルート。ほぼ計算通りの時間で龍泉洞に到着できました。
日本三台鍾乳洞 龍泉洞
…に着いたわけですが、結構な知名度を誇るわりには寂しい雰囲気の龍泉洞前。町営のオフィシャルな駐車場はかなり歩く事になるので、帰りに買い物をする事にして、目の前のお土産屋さんに停めさせて頂きました。
入り口手前にはスゲー綺麗な川が流れてます。遊漁券を買えば釣りもできるみたいです。
湧き水も飲み放題。阿蘇の白川水源同様、不気味なくらい無味無臭なお味。鍾乳洞で炭酸カルシウム溶けまくってるんだろうからもっと味ついてても良さそうだけどね。
お土産屋さんで売っていた「龍泉洞の水」によると硬度は97だそうで、1Lの水に97mgの炭酸カルシウムが溶解しているイメージ。超硬水に分類される有名なミネラルウォーターはEvianやVittelで、その硬度は300以上だそうです。その辺と比較すると全然軟らかい方なんですね。
脳内で御託を並べつつも入場するとやっぱ寒い。昔、真夏の阿武隈入水鍾乳洞で凍えた記憶があるので、バイク用防寒フル装備で挑みました。
洞内もスゲー綺麗な水がザバザバ流れてます。鍾乳洞なので当たり前ですけど。
通路はもちろん綺麗に整備されているんですが、うっかりすると頭上が危ない…。
綺麗にライトアップされていますが、まだ早い時間ってのもあって、人の気配が全くしない…。
正直、ひと気がなくて不気味な思いをする事に恐怖を感じていたので、後ろから追いついてきた他のお客さんに付かず離れずで一緒にまわりました。
龍泉洞と言えば多数ある地底湖が有名。これは第二地底湖だと思います。第一も撮ったんですが、あまりにブレブレでひどいので割愛します…。青く光っているのはもちろんライトアップのせいですが、水が溜まっているのかどうかわからないくらいの透明度。
さらにその奥にある第三地底湖。こう、何というか危険なのは分かりつつも引き込まれそうな神秘的な何かを感じますよね…。実際すげー怖いんですけど。
しかも超深いし…。地底湖の奥の奥には独自の文明を持った地底人が繁栄していて…なんて話が劇場版ドラえもんであったような思い出。
さらに上から地底湖を覗き込む。
という感じの龍泉洞地底湖巡りだったわけですが、やっぱりその奥にはまだまだ地底湖が続いているようです…。「ケイビング」なんてスポーツがあるくらいだし、洞窟探検ってのもハマれば楽しいのかもしれません。僕は怖いので無理です。
洞窟周辺でやたら「龍泉新洞」もよろしく!的にプッシュされていたので帰りに寄ってみましたが、コウモリの生態とか、鍾乳洞のでき方とか、資料館的な展示に並んで地底人の蝋人形が飾ってあってマジでビビった。隣に家族連れがいたからマシだったけどこれは絶対に許さない。
三陸海岸へ
鍾乳洞を堪能した後はいよいよ三陸海岸へ。小本の街から国道45号を南下すると「←真崎海岸」との観光地っぽい看板があったのでちょっと寄り道。
綺麗な海岸…を勝手に予想していましたが、もう既にそこは被災地でした。
沖には震災で滅茶苦茶になった防波ブロック、海岸に至る道中には跡形もなくなった建物の数々と復旧作業にあたる重機…。何も考えずに観光客丸出しでのこのこ走りにきた自分が情けなくなりました…。
こちらは宮古市の手前にある浄土ヶ浜という景勝地。三陸海岸きっての名勝とあってその美しさは素晴らしいものでしたが、この海があの日牙を剥いた事を考えると、逆にこの美しさが何だかとても怖いものに感じてしまいます。
三陸海岸はリアス式海岸として有名ですが、国道45号線はそこを縦断するようにアップダウンを繰り返します。山間の土地には無傷の建物と並んでたくさんの仮設住宅が並び、海抜の低いところに海沿いの栄えた港町があります。仮設住宅の横を走り、被災地のど真ん中である事を否応無しに感じていると、「これより先 津波被害想定エリア」の看板。北から田老、宮古、山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田…メディアでたくさん耳にした地名が表示される度に緊張感を覚えました。
街だった土地に残っているのは建物の基礎と鉄筋の骨組みだけ。道端には瓦礫が積まれていて、その横には滅茶苦茶になったクルマが積んである。ボコボコにひしゃげて骨しか残っていないガソリンスタンドには「営業中」の旗がはためき、国道と平行する高さ数mの立派な防波堤は無惨にも亀裂が入り崩れかけていました。
散々メディアを通して目にしていたとはいえ、実際に見た光景の凄まじさに言葉を失いつつも、少しでもなんとか記録したいと思う。けど写真なんて撮っていいものなのか…と葛藤しながら手早く数枚撮影することにしました。
いずれの街もほぼ信号が復旧しておらず、関西の県名を背負った警官の誘導に従い、砂埃の中を徐行することになります。この混乱した道路状況で道端に停まって撮影するのは適切でないので、道路が空いた時や、信号待ちの時にコンデジで何枚か撮影。見物人丸出しでカメラぶら下げて歩く事ができる心境じゃありませんでした。
どこの街にも瓦礫の横に「全国の皆さん支援ありがとうございます ちょっとずつ恩返しさせてください」なんて手書きの看板が立っていたり、仮設住宅の近くでは子供が元気そうに遊んでいました。僕たち被災地外の人間は連日のショッキングな報道により、絶望で息苦しい被災地を想像してしまいますが、見かける人達から悲壮感ではなく、復興に向けたエネルギーを感じる事が多かったです。
メディアで報道される事が嘘だと言うつもりはありませんが、よく言われる「実際に自分の目で見る」事の重要さに気付いた気がしました。この夏のツーリングでこのルートを設定した理由も正直「見たい」からでした。しかしただ見て帰る見物人になるのは嫌だったので、昔ツーリングで来た事のある気仙沼の街でボランティアをして帰る計画をしていました。
3年振りの気仙沼市
安波山公園から気仙沼港方面の眺め。写真奥に見えるのが3年前に友人連中とキャンプツーリングに行った大島です。当時みんなで大島行きフェリーを待った港の様子を見てきました。
ここが恐らくフェリー乗り場…。周辺は7~80cmほど地盤沈下しているとの事で、道路も港も海水がザバザバと流れ込んでいました。電柱や信号機はなぎ倒され、道路は寸断され、みんなでお土産を買った海鮮市場の横には漁船が流れ着いていました。
日も傾き、僕のような見物をしている関東ナンバーの車両しか見当たらない気仙沼港でバイクに腰掛け、今日見てきたたくさんの風景と混乱した頭の中と気持ちを整理しつつ、仮設店舗の吉野家で夕食を食べて、ボランティアセンターに戻りました。
気仙沼市の住宅街にあるボランティアセンターはこの日の活動を終えた人達でごった返していましたが、キャンプが許可された公園と駐車場を確認し、早速テントを張りました。周りの人はもう随分と長い事活動をしている人が多いらしく、仲良さそうに夕食作ったり酒飲んだりしていました。本当なら輪に入っていろんな話を聞かせてもらえたら、と思うところですが、どうもそういう雰囲気ではなかったし、僕もそんな気分になれなかったので、翌日の食事を調達して早めに寝る事にしました。
この日の走行距離:408km