2011夏 W650北海道・東北ツーリング(8) 気仙沼~川崎

8日目 8月21日(日)

気仙沼市内の公園で起床。この日は1日ボランティア活動をする予定です。

今回夏の長距離ツーリングに被災地を絡めた最初の理由は「自分の目で見たいから」であったわけですが、いくら観光者がお金を落とす事も大切!と言われても、本当に観光だけなのはどうも気が乗らない。じゃあ何かお手伝いできないかな、と思ったところで、Twitterでフォローしている方が5月の連休でボランティアしてきた様子を詳細にアップしてくれたのでした。

さらに日頃から「募金ってどうやって使われてるかわからないよね」というひねくれた疑問を持っていた僕にとって、現場で体を動かすという行為は、最も直接的で納得のいく被災地支援なんじゃないかと考えていました。

今回の更新はボランティア活動がメインなので写真がほとんどありません。読みづらい長文になりますがご容赦ください。

 

ボランティアセンターへ

活動が始まる前にテント撤収の準備をしておきたかったけれど、この日は朝から小雨が降り続けていて断念。仕方ないのでコンビニで調達しておいた朝食を食べて、8時前にキャンプ許可地から離れたボランティアセンターに移動。活動受付は8:30からでした。

 

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受付開始までは受付に並んで待ちます。待っている間も大型バスに乗った遠征組と思われる団体さんがたくさん来ました。中には海外の方の姿もたくさんあり、受付開始前にすごい人の量。受付後は全般的な注意事項をオリエンテーションで聞き、その後その日の活動を決める「マッチング」というものがありました。

「マッチング」ではその日に依頼されている活動を係の人が読み上げ、活動を希望する場合は自分の名前を書いたカードを渡すのですが、これが先着順なので、係の人の周りにはすごい人だかりに。みんな折角来たのだから役に立ちたいのは分かるけど、何だか取り合いみたいになる場面もあって少し変な気分になりました。特に「ガレキ撤去」は希望者が殺到するほどでした。

マッチングの結果、僕は「個人宅の草むしり・ゴミ拾い」をやらせてもらうことになりました。同じ班は30代くらいのガテン系っぽい男性5人組と、ボランティア慣れしてそうな男性1人の計7人。早速カマやスコップ、一輪車をセンターから借りて、移動車に積み込みます。僕は前述した方のBlogを読んで、長靴、防塵マスク、ゴーグル、ツナギをワークマンで揃えて持参して行きましたが、マスクや長靴、釘踏み抜き防止用の鉄板中敷はセンターでも借りることができました。

車で走る事数十分、気仙沼の魚市場から見て対岸にあたる集落が活動場所。「集落」といっても残念ながら残っている民家はほとんどなく、みんな基礎を残して、瓦礫を撤去している最中と言った感じでした。依頼者の方はこの湾で昆布養殖を営む方。小雨の降り始めた現場で改めて説明された活動内容は、「自宅周辺と隣の里山へ入る道周辺の草むしり、および付近に散乱した瓦礫とごみの撤去」との事でした。

各メンバー早速敷地内にバラバラになって草むしりに取りかかりましたが、散乱した家財道具の数がすごい。ドロドロになったぬいぐるみ、リスニングCD、鍋、ベビーカー…きっとこの辺のお宅のものなんだろうけど、生活感のあるものが出るたびに胸を締め付けられるような感覚になりました。これを使っていた人は無事なんだろうか…。

一昔前の家庭用カラオケテープや、着物なんかも出てくるんですが、洋服や布団の類いは海水を含んだまま放置されているので強い腐敗臭を放つのです。活性炭入り防塵マスク持ってきて良かった…。それらに集まったハエなんかの虫の数もすごかったです。津波の高さを示すのか、斜面の結構な高さのところから貝殻が出てきたりしました。

依頼者さんが「ここらで一服入れてください」と声をかけてくれるころには、あっという間に1時間以上経っていました。1時間で休憩って短く感じるけど、小雨の降る中、足元の瓦礫に注意を払って草むしりしてると結構疲れる。無理して倒れても迷惑なだけなので、休憩はこまめに取ることになっていました。

 

休憩中の依頼者さんの話より

この辺の集落はほとんどの人が山の上にある小学校に避難して助かったとの事。依頼者さんの家族も無事だったそう。ただ、亡くなった人も数名いて、ほとんどが自由の利かない高齢者や寝たきりの人だったそうです。中には家族が避難するのに言う事を聞かず、自宅の2階に残ったまま被害に遭った子供や、「どうせ大した事ないだろう」と避難しなかった人も…。

この地域は今回の震災前にもチリ沖地震による津波を受けており、さらに昭和30年代も三陸沖地震による津波の被害を被っているのですが、いずれも床下・床上浸水程度のものであったらしく、この地域の対策としても、自宅の基礎を一段高くしたり、相応の防波堤を立てたりといったレベルでした。しかし今回の津波は全くケタの違うものであり、防波堤は崩れ、住宅はほとんど飲まれてしまったと言う事でした。

「あの辺まで水が来たんだよ」と指差す先は葉が塩水で焼けてしまった杉林。塩水を被ったところとそうでないところの境目は、地上から10mはあろうというところ。地震発生当時、津波が来るまでに50分の間隔があったため、沖に出て昆布漁をしていた依頼者さんは津波が来る前に自宅に戻ることができたそうです。しかし避難場所の小学校に向かう前に津波が発生し、目の前まで濁流が襲いかかる中、僕たちが今片付けを手伝っている里山を必死に登って助かったそうです。

「そういえばあの辺に片付けるの手伝ってほしいものがあるんだわ」と思い出したように言われ、行ってみるとバカでかいコンクリートの固まりでできた住宅の外壁が山の中腹に転がっていました…。大人5人掛かりでようやく運び出しましたが、こんなのに襲われたら人間なんてひとたまりもない。改めて津波の恐ろしさを感じることになりました。

気仙沼港周辺と同様に、このエリアも7~80cm程度地盤沈下しており、今後この土地に住み続けるのは不可能と考えているのだそうです。しかし住民には海の仕事をしている人が多く、何らかの作業場を建てて、この土地で仕事をし続けたいという思いを持っている人が多いとの事で、これほどの被害に遭っても土地を捨てない強い意思を感じました。

 

作業終了

雨脚が強くなった事もあり、15時で作業を終了し、センターに帰ることになりました。帰り際、依頼者さんから丁寧に何度もお礼を言われて、ほんの微力ながら、初めて役に立てたような実感が湧きました。センターで借りた道具の洗浄・返却をし、一日中一緒に働いた皆さんともお別れ。

僕は翌日に予定されてしまった仕事の為にこの日のうちに帰宅しなければならなかったのですが、埼玉から来たという5人組の人も「俺らも仕事っすよwww帰りヤバいっすよねwwまあ頑張りましょうよwwwww」なんてテンションで、なんだか自分1人明日から仕事で大変だーなんてツラしてたのが恥ずかしくなりました。

 

自宅まであと517km

テントサイトの撤収をする為に公園まで歩き、ベテラン組の方々に軽く挨拶をして小雨の降る中、気仙沼市を出発しましたた。時刻は16:45、距離にして517km。

 

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これまでにない無茶苦茶な行程ですが、明日はいつも通り出勤しなければならないのです。

小雨の中、国道284号線を一関へと走り、一関市街のマックで休憩。小雨の影響か想像以上に寒くて、Tシャツ一枚で食事している客の中、ホットコーヒー飲みながら1人ガタガタ震えました。この先予想される消耗戦に備え、北海道用に持ってきた革ジャン、インナーダウン、冬用グローブを全て装備してから東北道へ。

 

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まだ470kmもあるという驚愕の事実。でも単純計算で行ければ24時台には帰れるのでは?なんて、そう旨く行く筈もなく…

 

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仙台を超えたところで休憩。節電対策で高速道路の街灯はほとんどが消灯しており、さらに雨の中というコンディションでの運転は非常に神経がすり減ります。加えて福島県内では渋滞が発生。少々マズい展開になってきた…。

 

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長過ぎる宮城県を超えて福島県入り。山間部では気温が17℃ほどですが、幸い防寒に関してはフル装備なので何の問題もありません。到着予定時間も24時は超えるものの、2時とかにはなんとか寝られそうな雰囲気。なんとかペースを保つ事が肝心と、大型トラックに付いていこうにも、ペースが合わず、抜かそうと追い越し車線に出ると乗用車からの鬼パッシングを受ける…。そりゃあこんな荷物満載のバイクが雨の中走ってたら邪魔なのは分かるけど、もうちょっと優しくしてくれても良いじゃないの…。

 

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24時過ぎには帰宅できて2時には布団に入れる…そんな風に考えていた時期が、僕にもありました。

寒さと空腹に絶えかね、上河内SAで暖かい山菜うどんを食べたが最後、疲れと眠気が牙を剥きはじめました。仕方なくPA、SA毎に停車し、10分少々仮眠してから次に進む…という作戦に切り替えました。ようやく首都高手前の川口PAまで来たところで時刻は1:00。これまで外のベンチかバイクの上で寝るしかなかったのですが、ここは暖かい自動販売機エリアが解放されている上にベンチまであるじゃないですか!これはここでじっくり休んで確実に回復してから首都高突破にいどm・・・

 

!!!っと気付いた時には時計の針は3時を指しており、空は明るくなりはじめていましたww
あと4時間でwww出勤wwwww

 

美しい朝焼けの中、4時に帰宅。
「必ず来い」と言われていた翌日の仕事は3日後に延期になってましたとさ!

 

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この日の走行距離:550kmくらい

 

最後に

雨続きの北海道、クマでドッキリの東北、自分の目で見たかった被災地。いつもなら観光地巡って、東横インでぬくぬくしている長距離ツーリングですが、今回はいろいろな体験ができて非常に実りのあるものになった気がしています。春の長距離では観光地をまわりすぎて半ば作業感があり、モヤモヤしていた部分があったのですが、これを機に走行距離よりも内容の濃いツーリングができるようになっていけたらいいなと思っています。具体的にはキャンプ内容の充実と、釣りなんかできたらいいなーなんて思ってるんですが、時間がかかりそうですね。

と、これを書いている現在、3年連続になる来年の北海道行きが決まりつつあるのです…。
長い事読んで頂いた皆様、ありがとうございました。

 

関東W650ミーティング/お台場~羽田

とある週末にお台場で開かれた関東W650ミーティングの様子でございます。

 

僕がこのイベントを知ったきっかけはTwitterでフォローしている方からの告知でした。本来こういう類いのイベントは僕のハイパー人見知りが発揮されてしまうので近寄るべきではないのですが、バイクのイベントなら話は別。去年の岩間ミーティングではカスタムの方向性が決まったり、欲しいパーツを実際に触らせてもらったりと、同車種乗りの集まりは得るものが非常に多いのです。

とはいえ、一緒に行く予定だったW650乗りの友人は都合が付かず参加を断念。週末夜のお台場に単身乗り込むと、後から後から来るわ来るわ。どうやらこのイベント、「関東W650/W400」というmixiコミュニティのオフ会だったようです。

やはり僕以外の大半の方はこのようなイベントを通じて顔見知りのようで、新参者は出方に悩むところですがそこは同じ単車乗り。知らない人でも単車眺めてニヤニヤしてれば自然と会話なんて始まるものです。驚いたのは僕のバイクを見て「このバイク見た事ある!」って方がいた事。恐らく某サイトに載せてもらったのを見たんじゃないかと思いますが、ちょっと恥ずかしいですね(笑)

 

雑談後はバラバラに羽田まで。トライアンフで参加された方もいました(知識がなくて詳しい車種がわかりませんでした)。

 

今回いろんなWを見た中でカッコ良かったのがこのGT380のテールランプ。カフェ方向に行くならテールもウィンカーも小型にするのがセオリーみたいですが、古いバイクの存在感あるでかいテールランプやウィンカーが好きなんですよねー。

 

今回「関東W650/W400」という括りでしたので、栃木茨城群馬から参加された方もいました。話してみたら皆さん僕が実家にいた頃の生活圏の人でした!ローカル話で盛り上がりましたw

「ネットのオフ会」なんて言うと何だか胡散臭いイメージを持ってしまいがちですが、同じバイクに乗るバイク好きの集まりとなれば参加しないのはもったいない!

というわけで非常に有意義な週末の夜のお話でした。

 

2011夏 W650北海道・東北ツーリング(7) 八幡平~龍泉洞~気仙沼

8日目 8月20日(土)

人里離れたキャンプ場の管理棟にて起床。正直なかなか寝付けなかったんだけど、いつのまにか寝ていたようです。サイトに張りっぱなしのキャンプ道具を管理棟まで持ってきて撤収。もうこんな思いをするキャンプは懲り懲りです…。

荷物を積んだら早速朝の八幡平を駆け上がります。

 

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真夏だと言うのに革ジャン+インナーダウンで丁度良いような気温。雲海出てたけど、アスピーテライン側からきれいに見渡せる場所がなかなか見つかりませんでした。写真右手の岩手山から見たら綺麗だったんでしょうね。

山頂付近でガソリンがリザーブになるなんてプチアクシデントも最後までもありましたが、無事に八幡平を後にして、盛岡の市街地へ。人里離れたキャンプ後の朝飯はなぜか朝マックが食べたくなるのです。

空腹と人里恋しさが満たされた後は国道455線で龍泉洞を目指します。延々と深い山の合間を縫うようなルート。たまに小さな集落がポツポツとあるんだけど、ものすごい古い造りの民家だったり、見かけるクルマはほぼ高齢者マーク、見かける住民はほぼ高齢者。道路沿いにある学校には「ありがとう〇〇小学校」の文字が並ぶ…。盛岡まで軽く1時間以上かかる上に冬は雪深いであろうこのエリアはそこら中に過疎化の現実がありました…。お気楽旅行者が何言ってんのって話ですが、北海道のそれとはまた違った寂しい雰囲気が印象的でした。

道程自体は信号もほとんどなく、快適でスムーズなルート。ほぼ計算通りの時間で龍泉洞に到着できました。

 

日本三台鍾乳洞 龍泉洞

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…に着いたわけですが、結構な知名度を誇るわりには寂しい雰囲気の龍泉洞前。町営のオフィシャルな駐車場はかなり歩く事になるので、帰りに買い物をする事にして、目の前のお土産屋さんに停めさせて頂きました。

 

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入り口手前にはスゲー綺麗な川が流れてます。遊漁券を買えば釣りもできるみたいです。

 

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湧き水も飲み放題。阿蘇の白川水源同様、不気味なくらい無味無臭なお味。鍾乳洞で炭酸カルシウム溶けまくってるんだろうからもっと味ついてても良さそうだけどね。

お土産屋さんで売っていた「龍泉洞の水」によると硬度は97だそうで、1Lの水に97mgの炭酸カルシウムが溶解しているイメージ。超硬水に分類される有名なミネラルウォーターはEvianやVittelで、その硬度は300以上だそうです。その辺と比較すると全然軟らかい方なんですね。

 

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脳内で御託を並べつつも入場するとやっぱ寒い。昔、真夏の阿武隈入水鍾乳洞で凍えた記憶があるので、バイク用防寒フル装備で挑みました。

入水鍾乳洞 | 見る | あぶくま洞

 

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洞内もスゲー綺麗な水がザバザバ流れてます。鍾乳洞なので当たり前ですけど。

 

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通路はもちろん綺麗に整備されているんですが、うっかりすると頭上が危ない…。

 

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綺麗にライトアップされていますが、まだ早い時間ってのもあって、人の気配が全くしない…。

 

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正直、人気がなくて不気味な思いをする事に恐怖を感じていたので、後ろから追いついてきた他のお客さんに付かず離れずで一緒にまわりました。

 

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龍泉洞と言えば多数ある地底湖が有名。これは第二地底湖だと思います。第一も撮ったんですが、あまりにブレブレでひどいので割愛します…。青く光っているのはもちろんライトアップのせいですが、水が溜まっているのかどうかわからないくらいの透明度。

 

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さらにその奥にある第三地底湖。こう、何というか危険なのは分かりつつも引き込まれそうな神秘的な何かを感じますよね…。実際すげー怖いんですけど。

 

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しかも超深いし…。地底湖の奥の奥には独自の文明を持った地底人が繁栄していて…なんて話が劇場版ドラえもんであったような思い出。

 

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さらに上から地底湖を覗き込む。

 

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という感じの龍泉洞地底湖巡りだったわけですが、やっぱりその奥にはまだまだ地底湖が続いているようです…。「ケイビング」なんてスポーツがあるくらいだし、洞窟探検ってのもハマれば楽しいのかもしれません。僕は怖いので無理です。

洞窟周辺でやたら「龍泉新洞」もよろしく!的にプッシュされていたので帰りに寄ってみましたが、コウモリの生態とか、鍾乳洞のでき方とか、資料館的な展示に並んで地底人の蝋人形が飾ってあってマジでビビった。隣に家族連れがいたからマシだったけどこれは絶対に許さない。

 

三陸海岸へ

鍾乳洞を堪能した後はいよいよ三陸海岸へ。小本の街から国道45号を南下すると「←真崎海岸」との観光地っぽい看板があったのでちょっと寄り道。

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綺麗な海岸…を勝手に予想していましたが、もう既にそこは被災地でした。

 

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沖には震災で滅茶苦茶になった防波ブロック、海岸に至る道中には跡形もなくなった建物の数々と復旧作業にあたる重機…。何も考えずに観光客丸出しでのこのこ走りにきた自分が情けなくなりました…。

 

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こちらは宮古市の手前にある浄土ヶ浜という景勝地。三陸海岸きっての名勝とあってその美しさは素晴らしいものでしたが、この海があの日牙を剥いた事を考えると、逆にこの美しさが何だかとても怖いものに感じてしまいます。

三陸海岸はリアス式海岸として有名ですが、国道45号線はそこを縦断するようにアップダウンを繰り返します。山間の土地には無傷の建物と並んでたくさんの仮設住宅が並び、海抜の低いところに海沿いの栄えた港町があります。仮設住宅の横を走り、被災地のど真ん中である事を否応無しに感じていると、「これより先 津波被害想定エリア」の看板。北から田老、宮古、山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田…メディアでたくさん耳にした地名が表示される度に緊張感を覚えました。

 

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街だった土地に残っているのは建物の基礎と鉄筋の骨組みだけ。道端には瓦礫が積まれていて、その横には滅茶苦茶になったクルマが積んである。ボコボコにひしゃげて骨しか残っていないガソリンスタンドには「営業中」の旗がはためき、国道と平行する高さ数mの立派な防波堤は無惨にも亀裂が入り崩れかけていました。

散々メディアを通して目にしていたとはいえ、実際に見た光景の凄まじさに言葉を失いつつも、少しでもなんとか記録したいと思う。けど写真なんて撮っていいものなのか…と葛藤しながら手早く数枚撮影することにしました。

 

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いずれの街もほぼ信号が復旧しておらず、関西の県名を背負った警官の誘導に従い、砂埃の中を徐行することになります。この混乱した道路状況で道端に停まって撮影するのは適切でないので、道路が空いた時や、信号待ちの時にコンデジで何枚か撮影。見物人丸出しでカメラぶら下げて歩く事ができる心境じゃありませんでした。

どこの街にも瓦礫の横に「全国の皆さん支援ありがとうございます ちょっとずつ恩返しさせてください」なんて手書きの看板が立っていたり、仮設住宅の近くでは子供が元気そうに遊んでいました。僕たち被災地外の人間は連日のショッキングな報道により、絶望で息苦しい被災地を想像してしまいますが、見かける人達から悲壮感ではなく、復興に向けたエネルギーを感じる事が多かったです。

メディアで報道される事が嘘だと言うつもりはありませんが、よく言われる「実際に自分の目で見る」事の重要さに気付いた気がしました。この夏のツーリングでこのルートを設定した理由も正直「見たい」からでした。しかしただ見て帰る見物人になるのは嫌だったので、昔ツーリングで来た事のある気仙沼の街でボランティアをして帰る計画をしていました。

 

3年振りの気仙沼市

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安波山公園から気仙沼港方面の眺め。写真奥に見えるのが3年前に友人連中とキャンプツーリングに行った大島です。当時みんなで大島行きフェリーを待った港の様子を見てきました。

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ここが恐らくフェリー乗り場…。周辺は7~80cmほど地盤沈下しているとの事で、道路も港も海水がザバザバと流れ込んでいました。電柱や信号機はなぎ倒され、道路は寸断され、みんなでお土産を買った海鮮市場の横には漁船が流れ着いていました。

日も傾き、僕のような見物をしている関東ナンバーの車両しか見当たらない気仙沼港でバイクに腰掛け、今日見てきたたくさんの風景と混乱した頭の中と気持ちを整理しつつ、仮設店舗の吉野家で夕食を食べて、ボランティアセンターに戻りました。

 

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気仙沼市の住宅街にあるボランティアセンターはこの日の活動を終えた人達でごった返していましたが、キャンプが許可された公園と駐車場を確認し、早速テントを張りました。周りの人はもう随分と長い事活動をしている人が多いらしく、仲良さそうに夕食作ったり酒飲んだりしていました。本当なら輪に入っていろんな話を聞かせてもらえたら、と思うところですが、どうもそういう雰囲気ではなかったし、僕もそんな気分になれなかったので、翌日の食事を調達して早めに寝る事にしました。

 

2011summer route8

この日の走行距離:408km